奈良・橿原市を散策(2016・9・15)

ハイキング仲間と本薬師寺跡のホテイアオイ見物と今井町散策を楽しんだ。蒸し暑い1日だった。

ホテイアオイ

熱帯アフリカ原産のミズアオイ科の植物だが、コメの生産調整の一環として橿原市が休耕水田(1・4ha)を利用し本薬師寺跡周辺に栽培している。今年は7月5日畝傍北小学校2年の生徒が約14千株のホテイアオイの植え付けに協力したそうだ。8月下旬から9月末頃にすみれ色の花が広がり、西方には畝傍山が聳える。ホテイアオイは葉柄(ようへい)の中央部が膨れ、これが浮袋の役割を果たす。名前の由来はこの袋を布袋さんのお腹に例えたもの。蕾が朝陽によって開花し、夜になると萎んで、翌朝に新しい蕾が花開く。特に陽射しの強い日に開花が多いようだ。曇天だったが満開だった。

Dscf0273

 Dscf0290_3 

Dscf0292

 Dscf0277

Dscf0282

 Dscf0286 

Dscf0294_3

 

Dscf0277_3 飛鳥川沿いの夏の名残

Dscf0302_2

おふさ観音

高野山真言宗・別格本山の寺で、本堂の周り一帯にかって鯉が淵と言う大きな池があった。慶安3年(1650)この池の辺りで暮らす”おふさ”と言う娘が歩いていると、白い亀の背中に乗った観音様が現れた。おふさは池の辺に小さなお堂を建て、観音様を祀った事に由来。その後庶民の手で寺が建立されバラ、風鈴の寺として有名。

Dscf0305

Dscf0307

Dscf0308

今井町

室町末期、一向宗(浄土真宗)が大和盆地への進出を図ろうと、説教小屋(現在の称念寺)を建て、各地から資産家を集めて、その経済力で都市作りを始めたのが今井町の始まり。町内で行われていた商売は多岐にわたり、大名に金銀を貸すくらい豊かな財力を持つ家も数軒あった。”大和の金は今井に七分”と言われる程の繁栄が続き、元禄の頃には全盛期を迎えた。町は現在”重要伝統的建造物群保存地区”に選定され、多くの古民家が建ち並ぶ江戸時代にタイムスリップしたような街だった。

Dscf0323

Dscf0320

Dscf0319_2

Dscf0322

称念寺

今井町は称念寺の境内地として発達した寺内町で、建物は江戸時代初期に再建された浄土真宗本堂だが、現在修復中で、完成まであと5年程かかるようだ。

Dscf0318 河合家

江戸時代初期頃、上品寺村から移住し、古くより”上品寺家”の屋号で酒造業を営んでいる。18世紀中頃に建てられた早い時期の2階建て町家で、2階に座敷などが設けられており、豪商の片鱗が伺える建物だ。

Dscf0317

Dscf0315 豊田家

旧は材木商”西の木屋”。牧村家の所有で、幕末には大名貸しを行い、藩の蔵元などを務めていた豪商。建物は寛文2年(1662)に建築されたもので今西家住宅と並ぶ上層町家。

Dscf0321

八木町・八木札ノ辻

八木町には文化的に貴重な建物、伝統的町家が300軒も残って居るが町並み保存が遅れた為、彼方此方に点在している。伊勢街道と中街道(奈良を経て山城に通じる)との交差点にある”八木札ノ辻”はお伊勢参りや大峰山・参詣巡礼の旅篭。

Dscf0324_2

Dscf0329

Dscf0326

 

 

この記事へのコメント

  • 磯のすー

    お元気で各地を散策、何よりです。
    今井町は次男の連合いの実家に近く、一昨年訪問時に案内してもらったことがありますが、
    歴史を感じる町並みですね。

    今井町も素晴らしかったが、この時期ホテイアオイが素敵でした。多くのカメラマンが集まって居ましたよ。
    2016年09月19日 16:24