尼崎散策(2017・8・29)

連日の猛暑で外出する事も億劫で、ビールに浸っていると体がスッカリ鈍ってしまった。近畿ウオーキング笑会主催の”思い出は映画と共に”と題する尼崎レトロ散策があったので参加した。気温36℃の炎天下で13kmのウオーキングはきつかった。体中汗びっしょりで付いていくのがやっとだったが、後のビールは美味かった。
ユニチカ記念館(阪神電車大物駅から徒歩7分)
明治33年(1900)竣工の尼崎紡績(株)の本社事務所。市内に現存する最古の洋風建築で、外壁の赤レンガはイギリスから輸入したもの。見学は水曜日のみで残念だった。(近代産業遺産)ユニチカの初代社長はNHK朝ドラ”あさが来た”の主人公・広岡浅子の夫・信五郎氏。広岡信五郎は大同生命保険の創業に関わった他、加島銀行相談役、ユニチカ初代社長を務めた。当時廃藩置県で困窮していた旧藩士の救済と共に、綿花の産地であった尼崎を新産業で盛り上げようと、尼崎、大坂の有力者が尼崎紡績を設立。その後大日本紡績、ニチボー、ユニチカと変遷した。
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大物主神社(おおものぬしじんじゃ)
尼崎の語源は”海が幸”と言われ、海の恵みが豊かで風光明媚な場所だった。海に至る河口の河洲の一つに大物主神の社が祀りの場として建てられたのが起源。平清盛が厳島神社の神様を勧請合祀し陸海運の行き来の安全を祈念した。尼崎は京と西国を結ぶ陸海運の要衝であると共に水害の多い土地柄だった。
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尼崎市立文化財収蔵庫(阪神尼崎駅から徒歩10分)
1933年竣工の鉄筋コンクリート造り3階建て、市立尼崎高校の前身・尼崎市立高等女学校の校舎。現在は市内の遺跡から出土した考古学資料、尼崎城に関する資料、近代工業に関する資料などを収蔵している。平成23年放映の映画”ALWAYS3丁目の夕日・64”で梵天同病院のロケ地として使用され注目を浴びた。丁度BSテレビで再放映していたのを見て興味を抱き炎天下を歩いた次第。
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旧尼崎警察署
置塩章設計により大正15年竣工の建物で、長く警察署として使われた後、児童館として利用されたが、現在は空家。
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阪神電鉄旧尼崎発電所跡
関西の多くの工場設計に携わった茂庄五郎設計により、明治37年(1904)竣工の阪神電鉄尼崎車庫横にあった発電所跡。阪神電鉄開業が明治38年だから、その前に建てられた発電所で、沿線町村にも電力供給していたようだ。大正8年に発電所としての役目を終え、現在は倉庫として利用されている。
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貴布禰神社(きふねじんじゃ)
”尼のきふねさん”で親しまれる尼崎の氏神。かって尼崎城主の祈願所を務めた。雨乞いの神事を行ってきた市内唯一の元縣社。貴布禰神社は全国に約460社(内福岡140社、大分94社)。総本宮は京都鞍馬の貴船神社。8月1日、2日のだんじり祭りは有名。
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尼崎えびす神社
”尼のえびっさん”として親しまれる。醍醐天皇時代以前の創建と伝わる。古代からえびっさんは漁業航海を守る神として漁業人から崇拝されてきた。高さ17m、笠木22m、柱直径1・6mの大鳥居は見事だった。
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