滋賀・草津を散策(2018・4・10)

アルプラザ主催の歩こう”草津と木瓜原遺跡”に参加した。草津に古代製鉄コンビナートがあり、その跡地に立命館大学草津キャンパスがあることに興味を抱き6kmのウオーキングに参加したのだが、温かくてウオーキングには最適の天候だった。
JR草津駅前
数年前の駅前には、高い建物と言えばホテル・ボストンプラザ草津位しかなかったと思うが、今ではマンションが林立しスッカリ様変わりしていた。
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草津川跡地公園(de愛広場)
草津の天上川が平成29年4月に緑あふれる公園に生まれ変わり、桜が見事だろうが既に散っていた。公園よりも驚いたのが、この草津川を別ルートに迂回させたことだ。既にあった集落を移動させ、ルート変更する大工事を近年実施した財力と政治力に敬意を表す。
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草津宿・追分道標
”右東海道いせみち左中山道のじ”と刻まれた道標が建つ東海道と中山道の分岐・合流地点。かって草津宿の追分見付けと呼ばれていたこの地に、火袋付きの常夜灯が残って居た。
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草津宿本陣
国指定遺跡。東海道と中山道の合流点であり、多くの旅篭が軒を並べていた草津宿。大名などが休泊した本陣で、現存する最大級の本陣。多数の関札と浅野内匠頭や吉良上野介が名を連ねた大福帖などがある。
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太田酒造
江戸城築城の祖・太田道灌を祖先に持つ太田家は東海道五十三次の宿場の中でも大宿で、又交通の要であった草津では街道の動静を見守る関守を務めた。酒作りを始めたのは廃藩後のこと。当時所領の100余町歩の田畑から納められる近江米を有効活用する為酒作りを始めた。
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立木神社
東海道に面して鎮座し、交通安全・厄除け神社として信仰を集める。境内には県内最古の石造り道標(旧追分道標)が移設されていた。
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立命館大学草津キャンパス
1994年4月に開設されたキャンパスで”びわこ文化公園都市”の一角にある延面積61万㎡に及ぶ広大なキャンパスで、アメリカのカレッジを思わせるほど道路も広く校舎も伸び伸びと建っていた。
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木瓜原遺跡
クインススタジアム(クインス(quince)木瓜の英語名)に降りる階段の途中にある扉を開け、階段を降りると突き当たりの10m四方の敷地に遺跡の一部が残されていた。遺跡は全13万㎡に及ぶ本格的発掘調査が行われ、7~8世紀初頭にかけて製鉄,製陶から梵鐘の鋳造まで行われていた総合生産遺跡。”木瓜原”の名前は遺跡周辺がぼけの原生林であったことに由来。現在保存されているのは製鉄炉があった部分で、粘土で作った3mのバスタブ状。遺跡からは木炭釜や鍛冶場の跡も発見された。24時間自動排水・除湿を行い、カビ発生を防いでいた。大学キャンパス内だからできる保存体制なのかもしれない。
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常徳寺
行基が729~749年頃に創建した”野路寺”が前身。江戸時代の明和5年(1768)に明庵和尚が再興し、曹同宗となる。観音堂は平成13年に解体修復されたもの。
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野路小野山製鉄遺跡
野路・野路東の字小野山一帯に所在する製鉄遺跡で、京滋バイパス建設に先立ち実施された発掘調査で発見された。製鉄炉,炭窯、工房等古代の鉄生産に係る一連の遺構が残って居たが、今は埋め戻され説明看板だけがあった。
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新宮神社
天平年間(729~749)行基によって創建された野路の鎮守。現存する一間社流造りは大永3年(1523)建立で県重文。
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