善峯寺の紫陽花(2018・6・22)

梅雨の晴れ間を狙って見頃を過ぎつつある紫陽花を求めて、京都西山・善峯寺を訪ねた。32℃を超す真夏日だったが丁度見頃で、白山の斜面一面に咲く紫陽花は見事だった。
善峯寺
平安中期の長元2年(1029)源算上人により開創。上人は比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事し、47歳で当山に入り自作の千手観音を本尊とした。長元7年(1034)後一条天皇により鎮護国家の勅願所と定められ、室町時代には僧坊52に及んだが、応仁の乱で大半が焼失。江戸時代には徳川5代将軍綱吉公の生母である桂昌院を大檀那として、現在の鐘楼、観音堂、薬師堂,経堂が復興された。
DSC_5027.JPGDSC_5030.JPGDSC_5041.JPGDSC_5043.JPG
観音堂(本堂);元禄5年(1692)建立。本堂千手観音は仁弘法師作で、西国20番の本尊。脇本尊千手観音は源算上人作。
DSC_5032 (2).JPGDSC_5033.JPGDSC_5034.JPGDSC_5038.JPGDSC_5092 (2).JPG
奥の院・薬師堂;京都に住む本庄氏は当山薬師如来に一女子を得ることを願い、寛永4年(1627)女子が生まれ、後の徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院となる。将軍の生母へと出世された桂昌院由来により、開運出世の御利益を授ける”出世薬師如来”として信仰されている。
DSC_5079.JPGDSC_5084.JPGDSC_5085.JPGDSC_5086.JPGDSC_5087 (2).JPG
遊龍の松(樹齢600年以上);国指定天然記念物の五葉松。安政4年(1857)花山前右大臣家厚公により”遊龍”と命名。標石は明治26年鳥尾中将の書。全長37m”日本一の松”と言われる。
DSC_5028.JPGDSC_5044.JPGDSC_5042.JPGDSC_5120.JPG
紫陽花苑
DSC_5050.JPGDSC_5052.JPGDSC_5058.JPGDSC_5063.JPGDSC_5065.JPGDSC_5069.JPGDSC_5074.JPGDSC_5102 (2).JPGDSC_5103.JPGDSC_5106 (2).JPGDSC_5115.JPGDSC_5117.JPG
三鈷寺
善峯寺の北門を出て直ぐの所にある小さな寺。平安中期に善峯寺を創建した源算上人が開創。鎌倉時代に浄土宗西山派祖証空上人が中興したと伝わる同派根本寺。本堂前からの眺望は見事だった。
DSC_5132.JPGDSC_5096.JPGDSC_5099.JPGDSC_5098.JPG
小塩山・十輪寺
善峯寺からバス停で一つ戻ったところにある在原業平縁の寺。嘉永3年(850)文徳天皇の御后染殿皇后(藤原明子)の世継ぎ誕生を祈願し、後の清和天皇を降誕した事から文徳天皇勅願所となる。その後藤原北家(花山院家)が帰依され一統の菩提寺とされた。創建当時の本堂は応仁の乱で焼失し、現在は寛永3年(1750)再建されたもので、屋根は鳳輦型と言う,御輿を模った珍しいもの。平安時代の歌人で”伊勢物語”主人公、在原業平が晩年に隠棲し塩釜焼の風流を楽しんだ。本堂奥に塩釜跡や業平の墓があった。”小塩”の地名はこの故事に由来。

DSC_5158.JPGDSC_5138.JPGDSC_5139.JPGDSC_5140.JPGDSC_5141.JPGDSC_5144.JPGDSC_5146.JPGDSC_5148.JPG

この記事へのコメント