滋賀・瀬田~南草津散策(2018・9・27)

ハイキング仲間と瀬田から草津にかけて広がる遺跡群の見学方々、久し振りの8kmウオーキングを楽しんだ。この地域一帯にこんな大きな工業遺跡が広がっていることに大いなる興味を抱いた。
萓野神社
祭神は開花天皇(第9代天皇)。和銅8年(715)早魃が発生した際、農民が雨乞いをすると里の山中の洞穴から亀が出てくると共に大雨が降りだした。この伝承から神紋は”蓑亀”とされ、神殿前に蓑で作った亀が飾られていた。明治21年国鉄東海道線の敷設により境内は2分され縮小し、昭和44年境内の横に瀬田駅が新設さた。
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山の神遺跡(国指定史跡)(大津市一里山)
7世紀初頭~後半にかけて須恵器を焼いた窯跡で、斜面に4基の窯が営まれており、斜面上の平坦地からは工房跡が見つかった。此処で焼かれた製品は日用品食器から、事務に用いる硯、埋葬に用いる陶棺、祭に用いる陶馬、陶鈴、漁業に用いる土錘(漁網の重り)、寺院の屋根を飾る鴟尾(シビ)等多岐に亘る。大津宮時代に生産量が飛躍的に増加することから、大津宮やこれに関連する施設で使う製品の供給元であったと考えられる。
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源内峠遺跡(国指定史跡)(瀬田南大萓町)
7世紀後半の製鉄炉跡が4基見つかっている。製鉄炉は長さ2m以上、幅0・3~0・6mの規模で箱型炉と呼ばれるバスタブ型の物。発掘調査では5tを超える鉄滓が出土。遺跡全体では約50tを超える量になると推測される。
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木瓜原遺跡(国指定史跡)(草津市野路)
木瓜(ボケ)原遺跡は7世紀後半~8世紀初頭に製鉄、製陶(須恵器、土師器)から梵鐘の鋳造までを行っていた。古代のコンビナートとも言うべき総合生産遺跡である。遺跡は琵琶湖との比高50m程のなだらかな丘陵地帯の中に位置し、4km程南西には近江国庁が営まれていた。瀬田丘陵一帯は近江国庁の設置と共に開発が進められ、木瓜原遺跡もその一環として律令国家建設に大きく寄与していたものと考えられる。木瓜原遺跡は立命館大学草津キャンパス設置の為1994年に用地造成時に発見され、その一部がクインズ・スタジアムの地下に保存されており見学できた。木瓜原遺跡の名前の由来は遺跡周辺が木瓜の原生林だった事から名付けられ、クインズは木瓜の英語名。
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