丹波亀山城址を散策(2018・10・31)

”ふるさと亀岡ガイドの会”主催で2020年NHK大河ドラマで放送される明智光秀に先駆けて、436年前の光秀決断の地・丹波亀山城の歴史散策に参加した。城跡、内堀、外堀、惣堀とお土居の周りを散策し、周辺の寺や神社を巡る6kmのウオーキングだったが、ガイドの説明で亀岡の城下町が良く理解できた。丹波国は明治以降、京都府(丹波)と兵庫県(丹波)に分かれたが、亀山の名称も明治2年に伊勢亀山と紛らわしいので”亀山”を”亀岡”に改めたもので、ただ城の名前は江戸時代を通じて歴史的名称となって居る”亀山城”を使用しているそうだ
南郷公園
亀山城の南側は内堀、外堀,惣堀の三重の堀とお土居が巡り堅窂な構えだが、南郷公園の立地する北側の搦手は外堀だけだ。これは有事の際、保津川の流れを塞き止めると、北側の水田が大きな堀となるように作られている。南郷公園は桜を中心に四季折々の花を楽しめる都市公園。
DSCN1928.JPGDSCN1929.JPGDSCN1932.JPG
亀山城跡
亀山城は天正4年(1576)頃、明智光秀が丹波平定の拠点として築き、城下町を形成し、この城下町を土塁(お土居)と堀で囲む城塞とした所謂惣構えの城。その中央を京都と山陰地方を結ぶ山陰道が走り、亀山城はこの交通の要衝に城塞を構え京都を守護した。穴太積みの石垣などが一部残って居た。
DSCN1930.JPGDSCN1938.JPGDSCN1944.JPGDSCN1939.JPG
亀岡天恩郷(宗教法人・大本教の聖地)
亀岡市の中央部に位置する総面積8万2千㎡の宗教法人”大本”の聖地。大正8年(1919)教祖の一人・出口主仁三郎が明智光秀が築いた亀山城の跡地を買い取り、荒れ果てた城跡を復興し、大正14年に”天恩郷”と命名.神教宣布の中心地として聖地と定めている。
DSCN1933.JPGDSCN1934 (3).JPGDSCN1935.JPGDSCN1942.JPG
秋葉神社
元禄15年(1702)青山下野守忠重が遠江国浜松より丹波亀山藩主に転封した翌年、亀山城下で大火が発生した。前任地の浜松で防火の神として信仰されていた秋葉三尺防を設置し防火を願ったのが起源。
DSCN1948.JPG
本門寺
法華宗の開祖で日蓮上人の弟子、日弁上人により開かれた千葉県茂原に所在する長国寺鷲山寺の表本山として正和年間(1312~1317)に京都二条柳馬場に創建された。その後応仁の乱で焼失した為明応2年(1493)丹波の国に移転再建した寺。
DSCN1951.JPG
壽仙院
亀山5ケ寺の一つ。明智光秀が後に帰依したと伝わる春光和尚の開山とされている。境内墓地に関ヶ原の戦で石田三成方に味方した福智(知)山城主・小野木縫殿介公知の墓碑があった。
DSCN1953.JPG
法華寺
寛永5年(1464)円珠院日玉上人を開山として開く。亀山城主・小早川秀明の保護を受け、城下の寺院本堂の中で最も古い寺。
DSCN1957.JPG
誓顕寺
当寺の開基は本願寺第11世顕如の弟子となった紀伊国名草群雑賀庄の豪族・有馬則秀。織田信長と本願寺の門徒が争った石山の合戦にも参加。信長の死後天正9年(1581)に出家し当寺を建立。
DSCN1958.JPG
専念寺
亀山5ケ寺の一つ。天正4年≪1576)性誉上人が織田信長の保護を受け開山。亀山藩主・松平忠昭(藤井松平氏)の菩提寺。
DSCN1960.JPG
丹波亀山城惣堀跡
亀山城内外は内堀、外堀,惣堀の三重の堀とお土居で仕切られていた。この付近は3番目の惣堀跡で、外側に足軽屋敷がった。
DSCN1962.JPG
正誓寺
天正6年(1578)に行信防教善(俗名山本善助)を開基として建立。その後亀山城下の整備に際し、大手門から南へ二丁のお土居の内側の現在地に移転された。
DSCN1964.JPG
聖隣寺
亀山5ケ寺の一つ。境内の墓地には織田信長の墓碑とされる五輪塔、市指定文化財の毘沙門天像が安置されている。毎年6月の第1日曜日に信長公忌と共に毘沙門祭りが行われているそうだ。

DSCN1965.JPGDSCN1967.JPG
宗堅寺
亀山5ケ寺の一つ。亀山藩主・菅沼家の菩提寺。境内墓地に菅沼定芳、定昭父子の墓碑や幕末志士・奥平小太郎の墓碑があった。
DSCN1969.JPG
称名寺
総本山知恩院に属する称名寺は江戸の芝増上寺で浄土の教学を学んだ袋中上人が琉球に渡り、慶長16年(1611)に帰国して京都三条に壇王法林寺を再興し、更に丹波に天台宗の廃寺に草庵を建て、浄土念仏の布教をしたのが起源。
DSCN1971.JPG
光忠寺
亀山藩主家8家の内、最も長く120有余年亀山藩を治めた形原松平家の菩提寺。同寺は段丘の上に立地し、隣接の惣堀と合わせ惣構を形成していた。
DSCN1974.JPG






この記事へのコメント