京都府・宇治田原を散策(2018・11・8)

日本遺産に認定された宇治田原・湯屋谷(やんたん)地区の街並み散策を楽しんだ。夏日を思わせる天候で”宇治田原いいとこ案内人の会”のボランテイアガイドの案内で6km程の街並みウオークだ。丁度8月にNHKの”鶴瓶の家族に乾杯!”で紹介されてから急に人気が出て、翌週は90人、この秋までに700人の観光客が訪れたそうだ。テレビの力は凄い。
宇治田原の街並み
宇治田原は宇治茶の主要産地で、鎌倉時代京都洛西高山寺を再興した明恩上人の弟子によってこの地にお茶の栽培方法がもたらされた.最初に茶の木が植えられたのは霊峰・鷲峰山の麓に広がる谷合・大福谷の奥地である。周囲の樹木で風や日光が程よく遮られ、霜が降りず栽培に適した環境であった事から大福谷の茶は評判を呼び、幕府や宮中に献上された。その後湯屋谷の永谷宗円の考案した製法によって煎茶が流行し、湯屋谷の茶産業は発展した。山間の細い谷筋に形成された集落にもかかわらず、大きな茶問屋や茶農家が軒を連ねる街並みを形成し、石垣の上に家が建ち、茶畑や木造の茶工場が点在する独特な景観になり、この一帯が永谷宗円生家と共に”日本遺産”に認定された。
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永谷宗円生家
永谷宗円は1680年山城国湯屋谷で生まれた。宇治田原の湯屋谷で茶業を営んでいたが15年かけて茶の製法を研究し、元文3年(1738)色、味、香りに優れた緑色の茶を生み出した。そして江戸に上がり茶商・山本嘉兵衛(後の山本山)を通じて”天下一”ブランドで販売し全国的に拡がった。湯屋谷の奥地にある宗円の出生地では生家が復元され、茶葉の製造に使った熔炉跡がみられる。毎年5月の新茶祭りには生家周辺の茶畑で茶摘みや製茶体験ができるそうだ。
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茶宗明神社
宗円生家の隣にある大神宮社。宗円は青製煎茶製法の成功によって多くの富を得、この財をもとに湯屋谷村とその近郷の湿田の排水工事を行い、村民から”干田大明神”と称され98歳で没した後、村民は”茶宗明神社”と名を改め宗円を祀っている。毎年4月に春の大祭、10月に秋の大祭を行い宗円の徳をたたえている。
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家康公・伊賀越えの道
本能寺の変を知った家康は大坂の枚方から山城(現在の京田辺)に入り”草内の渡し”で木津川を渡った。この時遅れた家臣の穴山梅雪が野武士によって飯岡で殺された。家康は今の城陽市を経由し宇治田原に入り、湯屋谷を経て奥山田に入り伊賀を経由して白子浜に出て船で三河に到着した。この道が歴史街道としてハイカーに人気だ。
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レストラン・リンデンバウム
昼食を摂った湯屋谷のレストラン。ドイツの日本領事館などで活躍したシェフが京田辺で7年間洋食店を営んだ後、故郷の生家を改築して洋食店を開業して10年になると言う。8月の”鶴瓶の家族に乾杯!”で黒木華と鶴瓶が訪れてから一躍人気レストランになり中々予約が取れないそうだ。¥1600のランチが人気だそうで、確かに美味かったが、さしたる特徴もない。テレビの力にびっくりするのみ。
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