奈良の紅葉名所めぐり(2018・11・19)

車がないと中々行けない奈良の紅葉名所をバスツアーで訪ねた。生憎の小雨~曇天で紅葉の彩はイマイチで、黒ずんだ赤で元気がなかった。我が家の庭のカエデも若木は真っ赤に染まっているのに、老木は黒ずんでいる。今夏は猛暑だったので元気がないようだ。
正暦寺
正暦3年(992)一条天皇の勅命により創建。当初は堂塔伽藍を中心に86坊の塔頭が菩提仙川の渓流を挟んで建ち並んでいたが、その後平家による焼き討ちや、度重なる兵火、江戸幕府の厳しい経済制圧によって衰退し殆どの塔堂が失われ、現在は江戸時代建立の福寿院客殿、護摩堂と大正時代再建の本堂、鐘楼だけが残って居た。古来より”悟りの山”を意味する”菩提山寺”と呼ばれ、奈良の中心地から僅か8kmの地で深山霊谷の感があり、紅葉の木が覆い茂る景色が見事な所だが今年は駄目だった。
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長岳寺
山の辺の道にある。天長元年(824)淳和天皇の勅願により弘法大師が大和神社の神宮寺として創建.盛事には塔中48ケ坊、衆徒300余名を数えた.幾多の栄枯盛衰を重ねながら1170余年の歴史がある。紅葉スポットは余りなかったが、この時期修復された狩野山楽筆(江戸時代初期)地獄絵が仏画展として公開されており、名物和尚の説明で人気があるようだが些か諄かった。
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談山神社
飛鳥・法興寺で行われた蹴鞠会で出会った中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が藤の花の盛りの頃、本殿の裏山で極秘の談合をし、皇極天皇4年(645)飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を討ち中央統一国家が生まれた.多武峰はこの後、談峰、談い山・談所が森と呼ばれるようになり”大化改新談合の地”の伝承が残り”談山神社”となった。天智天皇8年(669)天皇が鎌足公の病を見舞い、後に藤原の姓を与えた。鎌足公の没後、唐より帰国した長男定彗和尚が鎌足の遺骨の一部を多武峰山頂に改葬し十三重塔と講堂を建立した。奈良でも有数の紅葉の名所だが少し早かったのか、萌えるような紅葉は見られなかった。
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室生寺
奈良時代末期、皇太子山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒の祈願を興福寺の高僧賢環等により行い、貞効があった事から、勅命により国家の為に室生寺が建立された。以来室生寺は山林修行の道場として、又法相、真言、天台等各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成。女人禁制の高野山に対し、女人の参詣を許した事から”女人高野”と呼ばれる.総高16・1mと屋外に建つ五重塔では最小のもので、平安初期の建立と言われるが平成10年の台風で損傷を蒙ったが平成12年に修復された。シャクナゲの美しい所だが紅葉は少なかった。
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室生ダム
ダム湖に映える紅葉が絶景と言われるそうだが、曇天の夕暮れ時では見られなかった。
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京都駅のイルミネーション
奈良から戻ってきた京都駅がXmasイルミネーションで飾られていた。
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