熊野古道・熊野三山巡り(2018・12・2~3)

熊野三山巡りは以前に行ったような記憶があるが、熊野古道は多分初めてだろう。熊野古道とは熊野三山(本宮、那智、新宮)への参詣道を言うが、紀伊半島西側を通る紀伊路、高野山と熊野を結ぶ小辺路、伊勢神宮と熊野を結ぶ伊勢路の三本のルートがあり、紀伊路は田辺で更に山中を行く中辺路と、海沿いを行く大辺路に分かれる。熊野三山とは速玉が前世の罪を浄め、那智が現世の縁を結び、本宮が来世を救済すると言われ,三山を巡れば過去、現在、未来の安寧を得るとして古くから熊野古道を歩いて三山を訪れたようだ。今回バスツアーで三山を要領よく運んでもらい、中辺路のアップ・ダウンを経験し熊野詣の真似事とした。
闘鶏神社
創建は5世紀に遡ると言われ、白河法皇の時代に熊野三所権現を勧請し”権現さん”と呼ばれる。熊野三山の別宮的存在で、熊野参詣の折には闘鶏神社に参拝して心願成就を祈願した。又この神社に祈願して三山参詣に変えた。闘鶏神社の名は武蔵坊弁慶の父・熊野別当湛増が、源平の壇ノ浦の戦いで何れに味方するかを決めかね、神前で紅白の鶏を戦わせ、神意を占ったことによる。白の鶏が勝ち、源氏に味方することになった湛増は、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ向かった。この由来から勝ち運の神様として信仰され、境内には鶏が戦う様子を再現した湛増と弁慶の像が建っていた。
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熊野参詣道・中辺路
平安時代、都の人々によって始められた”熊野詣”は、今日”熊野古道”と呼ばれ、山道を通って本宮、新宮、那智の”熊野三山”に参詣するものだった。途中熊野神の御子神を祀る”九十九王子”があり、人々は奉幣や読経と言った宗教行事の他、厳しい山岳修業を重ねながら進んだようだ。田辺から東進する道を”中辺路”と呼び滝尻王子から本宮の間は名所旧跡の多い道だった。
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滝尻王子宮
熊野参詣道に祀られた熊野の神の分社。熊野九十九王子の中でも特に格式の高い五躰王子の一つとされた重要な王子。背後の山には藤原秀衡に纏わる伝説の場所もある。
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発心門王子
此処から熊野本宮大社の神域に入る。熊野九十九王子の中でも格式の高い五躰王子の一つに数えられる由緒ある王子で、熊野詣での人々は鳥居の前で御祓いをしてから鳥居をくぐったと言う本宮大社の入口。
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熊野本宮大社
熊野川、音無川、岩田川の中州に当たる聖地・大斎原に社殿が建てられたのが紀元前33年。明治22年(1889)の洪水で大きな被害を受け、上四社が現在地へ移された。158段の石段を登り総門を潜ると桧皮葺の社殿に家都美御子大神(本地仏・阿弥陀如来)が主神として祀られている。人生蘇りの地と伝わる地で、今年は創建2050年を迎える。
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ホテル浦島
今回利用した南紀勝浦温泉にある巨大ホテルだが、桟橋から100人乗りの亀を模った浦島丸なる連絡船で5分程で対岸に着く。島全体がホテルになっており忘帰洞なる洞窟温泉を始めとする巨大露天風呂が4か所あり、温泉を中心にホテル棟が建って居り、竜宮城を連想させる長い廊下でつながっている.山上館へは長いエスカレータを3回乗り換え32階へ上がる。途轍もなくデカいホテルで、それぞれのホテル棟にレストランがあり、我々の泊まった本館レストランではマグロの解体ショウをやっており新鮮な魚料理が堪能できた。
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熊野速玉大社
神代に熊野の神々を神倉山からこの地に迎え、神倉神社の元宮に対して新宮と呼ばれる。熊野本宮大社と共に全国数千の熊野神社の総本宮として崇敬を集める。力強く映え輝く霊の象徴とされる速玉大神(いざなぎのみこと)と結霊の神・夫須美大神(いざなみのみこと)の夫婦神を主神として、縁結びの神社として知られる。熊野川河口に鎮座する主祭神の熊野速水大神は熊野川の神格化に起源をもつ。
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八咫烏
神武天皇が九州日向の国より、この地に上陸して三本足の烏に案内されて奈良まで行き大和の国を建設したと言われる。サッカ日本代表チームのシンボルマークになって居る。”日本書紀”にも登場する三本足の烏。熊野では八咫烏は熊野神の使いで太陽の化身とされている。熊野では烏の事を”権現ガラス”とか”烏牛王(からすごを)”と親しみを込めて呼んでいる。新宮大社の社殿前には八咫烏像がある。
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大門坂
熊野那智大社へ続く道で全長約640m、高低差100mの石畳が続き、古き関所跡や霊場への入り口と言われた”振り瀬橋”、登り口に聳える樹齢約800年の”夫婦杉”が出迎える。熊野古道で最も美しい苔むした石畳道で、この名はかって登り切ったところに大門があった事から名付けられた。
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熊野那智大社
命の根源である水が豊富に溢れる神聖な滝への信仰を原点に、国生み,神生みと縁の深い神々が祀られている。那智の滝は太古から神々として崇められ大己貴(おおなむち)命(国造り)の神として知られる大国主命の御神体として祀られている。那智の滝を見晴らす現在地に社殿が遷ったのは1700年前。467段の石段の上に6棟から成る社殿があり、境内には日本サッカー協会のロゴにも用いられている八咫烏の烏石や樹齢850年の大楠が茂っていた。
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那智山青岸渡寺
御本尊は那智の滝に出現したとされる如意輪観世音菩薩。西国三十三か所観音霊場の一番札所で、2018年に”西国三十三か所草創1300年”を迎えた。明治の神仏分離までは隣接する那智大社と一体で、那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場であった。1590年に豊臣秀吉が再建した本堂は桃山時代の特徴を色濃く残している。本堂の後方にある三重塔は江戸時代に倒壊したが、昭和47年(1972)再建されたもので那智の滝との調和が美しい
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那智大瀧
日本三名瀑の一つに数えられる落差133mの大瀧。那智山中には数多くの滝があり、那智四十八滝と呼ばれる。滝籠りの行場でもあった。普通那智の滝と呼ぶのは一の滝の事。神武天皇は太平洋から那智の滝を遠望して那智の浜に上陸、八咫烏の道案内によって大和に辿り着いたと言われる。
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